最年少で全瓦連技能グランプリ二冠!自然体で人生を楽しむ成田工事屋根店の社長・成田篤孝社長インタビュー

はじめに

技能グランプリ二冠を最年少で達成した岐阜県多治見市の成田屋根工事店の成田篤孝さん。屋根の道に入ったきっかけや、独立の経緯、様々な社外の活動などについて伺いました。

野球少年から陸上特待生へ

――生い立ちについて教えてください

僕は愛知県の愛西市で生まれました。合併前の佐織町というところです。
父は公務員で、自衛隊員で特に屋根や建築に関係あるというわけではありませんでした。
小さい頃は野球少年で、小学校から中学まで真剣にやっていて県大会まで行けました。
高校は特待生で入りました。

――それで高校も野球をやられてたんですか?

いえ、陸上の特待生だったんです。
中学には陸上部がないから、地区大会ではいろんな部活から寄せ集めで足の速い子が集められて出場するんです。
それの練習して出場したら地区では一番二番になったんです。
でも走るのは好きではなくて。
元々そんな好きじゃないのに楽して高校入ったら、周りはみんなすごい走るの早い人ばかりで、しかもみんな本気だけどこっちは中途半端やしで、二年の頭くらいで全然面白くないからやめちゃったんですね。
それで学校も中退して。

――そこでまだ瓦とは出会ってないんですね?

まだですね。学校辞めてよくある感じで色んな職種を転々としていました。
結構色々仕事して建築系とか楽しいなって思ったんですよね。
ただその時はそれよりも遊びが楽しくて、仕事は嫌いじゃなかったけど一日行って無断欠勤とかしていました。当時はほんとにクズでしたね(笑)。

――野球の時もそうですが、やるときはやるというタイプですか?

そう。野球は好きだから頑張ったけど陸上は好きじゃなかったからやめました。
そのプラプラしてた時に、一ヵ月とか仕事続いた時もあったのですが、結構いろんな社長さんに「お前はちゃんとやれば大したもんなのにな」って言われました。
仕事に行ったらすごい頑張ってやるんですけど。
けどその時は遊びが勝っちゃってふらふらしてました。

多治見への転居と瓦との出会い

――その延長で多治見市にやってきたんですか?

いえ、それは父親が前住んでいたところは地盤が弱いからって言って、多治見はすごい地盤が強いからという理由で19歳の時に家族全員で引っ越してきました。

――地元の友達とも離れ離れになったんですね。

でも毎日のように多治見から地元に遊びに行ってましたね。
それで多治見で瓦さんに勤め始めた時も「成田は月曜日は来ないぞ」って言われてて。
日曜に愛知に遊びにいって月曜も休むのが定着してまして。でも特に叱られるとかはなかったです。
でももう19なので、ちゃんと仕事もしんといかんなと思って。お金もほんとなかったですし。
それで20で結婚して仕事はちゃんと行くようになりました。

――最初から独立を考えられてたんですか?

その瓦屋さんの面接の時に「早く独立したいのですが、そんなルートってありますか?」と聞いてたんですよね。今から思うとなかなかですよね(笑)。
面接してくれた当時の親方から「ちゃんとやれば(独立)できるぞ」と言われて。
その会社に入社して瓦をさわるようになったのですが、知らないということが気持ち悪いので、早くできるようになるために休憩中でも誰かに聞きまくってました。とにかく早く仕事を覚えたいというのがありましたね。
早く独立したいという目標があったので突っ走れたと思います。

最初の独立と再独立の大きな決断

――それで25歳で独立されたんですよね?

そうです。それが一回目の独立ですね。
25歳まではその会社でずっとお世話になっていました。
辞めた後は、他に仕事の取り方を知らなかったのもあって、その元々お世話になっていた会社から仕事をもらって下請けをやっていました。
そして独立して1年後に元いた会社の社長としゃべる機会があった時に、「取締役として入れてやるから営業で戻らんか」と声をかけてもらったんですね。
実質No2としてというお話で。10歳以上年上の先輩とかもいるから迷ったんですが、営業も経験しないといけないと思って戻らせてもらいました。
ゆくゆくは社長にという話も頂いていました。

――すごいですね。

でも人からもらうよりも自分で作り上げたいという気持ちが自分の中にあって。
それで社長に、「本当にごめんなさい。やっぱり辞めて自分でやりたいです。その時にもう一回仕事もらうことできますか?」と言ったら、さすがにそれは先輩たちをさしおいて上に行っておいて、辞めますから仕事をくださいはない話だろうとなって。
まぁそれはそうですよね。
それで、仕事ゼロで独立するか、独立したい気持ちを我慢するかの二択になりました。
この時は過去一悩みました。

――それは悩みますよね。それで選んだのは……?

家族もいるけど、すべてを捨ててもう一度独立することを選びました。

――決め手はなんだったんですか?

うーん。ある意味では何も考えてないからできたと思うんですよね。
普通の人だったらそんなことしないと思うので。

――奥さんは反対されなかったんですか?

実はその時一番不仲でしたね。
当時貯金100万くらいしかなくて。それをくれとも言えないじゃないですか。
両親から借りたお金と国金(日本政策金融公庫)から融資を受けた900万でスタートしました。
そのお金も会社のホームページ作ったりトラックなど必要なものをそろえているうちに600万がすぐなくなっていきました。
一番怖かったのが残り資金が200万になったときでしたね。

ゼロからの挑戦と技能グランプリ二冠

――そこから仕事を自分で開拓されていったんですか?

自分で開拓するには結局2年くらいかかりましたね。
最初は人の応援にいって日当を稼いだりしてました。
でも僕は運だけはあって。独立をスタートして3~4か月で雪で壊れた樋の保険の仕事をやりませんかという電話をもらって、その仕事がそこそこもらえたので、食い扶持を稼げるようになりました。
その保険の仕事を二年くらいやっている間に、ホームページからたまに問い合わせもくるようになりました。チラシも配ったりしているうちにちょこちょこ依頼も増えてきて。

――その頃に技能グランプリを受賞されたんですよね?

そうです。二回目のグランプリが九州であって。
一回目(※平成27年)の時に優勝しているからというのあって優勝しか選択肢になかったです。
優勝したら保険の仕事を辞めると決めてました。やりたくないわけではないけど、自分がやりたい仕事ではなかったので。
二つのグランプリで優勝している人は二人しかいないというのも優勝しなきゃいけない理由でした。
今回とれたら歴代最年少にもなりますし、県の予選会などもあり毎年出れるわけではないので、逆に今回を逃すと二年後とかになるので、ここで取るしかないなと。

――それでは練習も寝る間も惜しんでやられていたんですか?

はい、練習にはすごいこだわりました。
12~2月に練習しないといけないから寒い時期に練習しないといけないから、みんな口そろえて手がかじかむと言うんですよね。
だから僕はなんとしても環境を整えて、暖かいところで練習したいなと思って。
たまたま九州の大会の課題がちょっと小さめだったから、奥さんに部屋貸してと断って、自宅の寝室のベットをどかしてその部屋のなかに屋根を作って夜中まで練習してました。

――それで実際に全瓦連技能グランプリで最年少で優勝されたんですよね。そこで保険の仕事も辞められたんですか?

そうですね。保険の仕事はきっぱりと辞めまして。
優勝したことによって、当時の市長の市長室に表敬訪問とかすると、地元の新聞に掲載されて、それで仕事も結構増えていきました。
その時は社員は一人とかなので、月に2件あればなんとかやっていけました。そうやってコツコツと信頼を積み重ねていきました。

現在の成田屋根工事店について

――今は社員さんは何人くらいおられますか?

日本人の職人が4人と、あとベトナムからの技能実習生が1人、あとはパートさんで全員で10人います。
職人は全員技能士を取得している経験者です。
会社の雰囲気はよくて、みんな仲良くやってます。

――技能実習生を受け入れたきっかけはなんですか?

そこも結構悩んだんですけど、「仕事が先が人が先か」で、みんな仕事もないのに人なんかいれないじゃないですか。
僕は経営者の塾に行ってて、そこで「そんなこと言っていたらいざ人がいなくなったら困るぞ」と言われて、考え方がちょっと変わって、人が余ってもいいから採ろうとなったんですね。
ベトナム人は二人とも言葉の壁はありますがめっちゃ真面目でいい子です。
最初は言葉の壁はありますが年数いればなんとかなりますね。
一旦国戻ってまた戻ってくることもできますし、僕は彼らにずっといてほしいと思ってます。

屋根材について

――成田さんおすすめの屋根材とかはありますか?

僕自身というよりもお客さんがどうしたいかですね。
現地調査に行ったときにあと何年住まれますか?とかライフプランとかまで細かく聞いてから提案をしています。
それで見積りも何パターンかだしています。

葺き替えの場合で屋根を軽くしたい人にはガルテクトをおすすめして、なんでもいいという人には瓦をすすめています。
昭和56年以降に作られた建物は構造が丈夫なので、洋瓦や乾式の瓦にすれば十分耐えられます。
どうしても軽くしたいという人には軽い屋根材を提案しますね。
Tルーフは粉が落ちるなどのそれぞれのデメリットをしっかり伝えるようにしています。
ベトナムの子以外はうちの職人はみんな技能士をもっていますので、依頼してくれたら技能士が施工します。

――瓦の中で好きな屋根材とかはありますか?

好きな瓦はいぶしですね。
反らせ方や割り付け方、切ったところをきれいに合わせられるかなど色々難しいからやってて楽しいですし、できたときの達成感がありますので。

職人の未来も考えた社外の様々な活動について

――職場体験の受け入れもされていますが、どのような経緯で始まったんですか?

もともとはうちの長男が中学二年の時に学校の職場体験を授業でやるとなった時に、その時うちではまだやってなかったんですが、僕がうちにこいと言ってたらそれを先生に言ってくれたみたいで。
先生から「今年は無理ですけど、受け入れをやってくれるんですか?」と言ってくれて、その次の年からやるようになりました。
来た生徒さんには座学で瓦や他の屋根材を紹介したり、小さい屋根に瓦並べてもらったり、瓦を割る体験やドローン飛ばして写真撮ったり色々やってもらってます。結構興味もってくれて僕も楽しいですし、地域貢献して瓦や屋根のこと知ってもらうことも大事かなと思います。

――下請けの方に板金の講習会もされてるそうですね。

昔と違って今は瓦よりもガルテクトが増えてきて、瓦屋さんに今暇な人が多いんですよね。
そういう人たちに板金屋根とか色んな仕事をおぼえてもらって忙しくなってほしいなと思いまして。それでうちからもお仕事も頼めたらいいなという想いがあります。

目標や人生を楽しむ秘訣

――今後の目標について教えてください

会社の目標売上は10億ですね。今2億くらいなので。
あと内閣総理大臣賞がほしいです(笑)。
日々が楽しいということも大事ですね。
僕は人生を楽しんでて、自分の40代や老後も楽しみです。

――人生を楽しむ秘訣は何ですか?

目標を立てることと、あと日々を楽しむことですかね。
あと、人にこれいいよと言われたらとりあえず一回やってみます。
大体の人は人にこれいいよと言われたらへーとかいってやらないじゃないですか。僕は大体やります。とりあえず一回やってそれから考えます。
仕事や色々なことを通して、新しいことや知らないことをやるのがこれからも楽しみですね。

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